瞑想合宿(ヴィパサナ)などに逃げ込むよりは真剣に清掃に取り組むほうが効果的だと感じた件について

お久しぶりです。

社長の妻です。

これまでは、夫の言葉を私が代筆(夫はPCで打ち込むのが苦手です)、
あるいは夫と相談しながらこのブログを書いてきたのですが、
今回は、独断での投稿です。

投稿の趣旨はいつもとは異なるかもわかりません。

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私たち夫婦の所有物件は、沖縄の民泊で実質ナンバーワンの人気物件といえるものです。

ちょっぴり眺望がいいだけの築10年以上の普通のマンションが、なぜこんなに人気物件になったのか、私自身はとても不思議だったのですが、最近、ある事件があって、納得がいくようになりました。

その事件とは、新入社員の入社とその1週間後の退社です。

新入社員は、我々が求めている素養(英語力など)を全て備えているうえに、ヴィパサナ(マインドフルネス)瞑想の沈黙合宿に何度も参加した経験のある人でした。

夫も私も「宗教」には積極的な興味はありませんが、ヴィパサナ瞑想は宗教とは異なる部分がありますし、ヴィパサナ瞑想の経験者であれば、集中力もあり、さぞ清掃もきちんとしてくれるであろうという大きな期待を抱いておりました。

ところが蓋をあけてみると、清掃が甘いだけでなく、社宅が用意できるまでの間、一時的に住んでもらっていた会社の保養所(高級マンション)を、悪臭の垂れ込めるゴミだめにしてしまいました。

自分の自転車を、他のオーナーの駐車場に停めるという非常識な面も見られました。

そこで夫が電話で注意をしたそうです。
(あとでその録音内容を聞きましたが、清掃への取り組み方について、感動する話をしていました。)

結局、彼には夫の言葉は届かず、すぐに辞めてしまったのですが、どうも精神的に弱すぎる、というか、病的なところがあったようです。

ヴィパサナ瞑想は、彼にとっての「駆け込み寺」だったんですね。
つまり、彼は瞑想に依存し、瞑想に逃げていたということです。

ところで、私たちはふたりとも宗教には積極的な興味はないと言いましたが、スピリチュアルなものとの接点がまったくないわけではありません。

というのも、夫は元々アーティストでミュージシャンだからです。

そんな夫が、その昔、出会ったのは、禅宗の「虚鐸」と呼ばれる竹の縦笛です。

夫はこれに没頭し、これを極めるために、六年ほど門付けをしていたことがあります。

精神的なものを直接追い求めていたというよりは、虚鐸の神髄を極め、ミュージシャンとしての自分を極める目的で、六年もの間、門付けによる托鉢のみで生活をしていたのです。(当時は私との結婚前でした)

その間私は、当時は親友であった夫の代筆で「托鉢日記」というメールマガジンを出していたのですが、托鉢で出会った人々のなかには、夫の笛を聞いて心を揺さぶられ、涙を流す人々も少なくなかったそうです。

そんな夫ですが、沖縄に来てからは虚無僧もやめ、自堕落な生活に戻っています。
座禅や瞑想なども一切しません。
人前で笛を吹くことも滅多にありません。
自分が虚無僧をしていたというような話を他人にすることもまずないです。
それどころか、ちょっとした「精神論」を振りかざすところさえ、見たことがありません。
酒飲みで猫好きで、禅や宗教などとは無縁の、単なるおっさんです。

が、辞めた社員との会話の録音のなかで、夫は、瞑想について説いていました。
「座るだけなら誰でもできる、重要なのは、それをいかに日常生活に活かすかだ」
「仏陀も瞑想だけしていたわけではなく、世間に戻ってきた」
というような話をしていました。

そこで、夫にとっては清掃とは、瞑想の場に外ならないということに気づきました。

我々の所有物件は、最初のうちは、夫がひとりでずっと清掃してきました。
今は他のスタッフにお任せし、夫はチェックのみ担当していますが、彼らは、夫の言葉を理解し、清掃に励んでくれています。

誤解していただきたくないのは、夫は清掃員に、宗教的な「精神論」を説いたわけではないということです。夫が伝えたのは「清掃に対する取り組み方」、「心がけ」の部分です。

つまり、我々の所有物件の人気の高さの秘密は、夫を含む清掃員の「心持ち」によるものが大きいと言うことです。清掃されたお部屋は、清掃員の「心持ち」を投影する鏡としてゲストの方々を迎え入れ、ゲストの方々は、余すところなく清らかに整えられたお部屋に、ホスピタリティの高さと居心地のよさを感じ取るのではないでしょうか。

清掃は、部屋を清めるだけでなく、自分自身をも清める作業です。
また、時間内に完璧な清掃を終えるためには、高い集中力と、頭の回転を必要とします。

今、巷ではマインドフルネス瞑想としてヴィパサナが見直されていますが、自分自身に向き合うつもりで、真剣に清掃に取り組めば、それが自然にマインドフルネス瞑想になるのではないでしょうか。

逆に、自分自身から逃げ、日常生活から逃げるための瞑想など、いくらやっても、毒にはなっても薬にはならないような気がします。
世間では通用しない「廃人」(本人は幸せ)になってもいい、というのであれば別ですが。

PS:別にヴィパサナ瞑想を否定しているわけではありません。ヴィパサナ瞑想は、取り組みかたによっては非常に効果の高い瞑想法だと思います。ただ、どんな名薬でも飲み方を間違えれば毒になります。ヴィパサナ瞑想も、取り組み方次第で、毒にも薬にもなり得るのではないでしょうか。

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